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中世前期 Page.1

時代背景

紀元前一世紀頃、キリストの死後、弟子たちによってローマ帝国の各地にキリスト教が伝えられますが、長い弾圧と迫害の時代が続きます。しかしそれも皇帝コンスタンティヌス(在位307~337)と皇帝リキニウス(在位308~324)によるミラノの勅令(313年)で終わりを告げます。キリスト教がローマ帝国の公認の宗教になったのです。その後、帝国内の各地に修道院が建設されるなど、キリスト教の文化が花開きます。世界史では一般にこの4世紀頃を、中世の始まりとしています。このように、中世初期のヨーロッパの社会や文化はキリスト教と大変に密接な関係にあるのです。それは音楽も同様でした。

キリスト教の典礼の仕組み

やがて、ユダヤ教を範例としてキリスト教の礼拝の仕組みが作られますが、最初は各地で様々な宗派が独自の方法で典礼を行ない、それぞれの地域の言葉で聖歌を歌っていました。たとえばビザンツ聖歌、古ローマ聖歌、ガリア聖歌、ミラノのアンブロジウス聖歌、スペインのモサラベ聖歌などです。
このような状況を変えたのは、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ:在位768~814)でした。カール大帝はローマ法王のもとで800年に西ローマ帝国皇帝として戴冠。帝国内に大きな修道院や司教座聖堂を建設するとともに、各地の典礼や聖歌を統一する方針を打ち立てました。その後長い時間を掛けてローマ教会公認の典礼や聖歌が形作られていきました。
キリスト教の典礼で重要なものは、聖務日課とミサでしょう。聖務日課は、修道院や教会などで毎日決められた時間に行なわれる典礼の儀式です。これらでは、聖書の朗読と旧約聖書の詩篇が朗唱され、聖歌が歌われます。ミサ(聖餐式)とは、キリストの最後の晩餐を再現したもので、キリストの血としてのワインと肉としてのパンを拝領して神に感謝する聖体拝領を中心としています。そこでも聖書の朗読と聖歌が歌われます。また、聖歌のテキストには、時と場合に応じて変化する固有文と、日によって変化しない通常文があります。(下表参照)

  • 固有文

  • イントロイトゥス(入祭文)

  • グラドゥアーレ(昇階唱)

  • アレルヤ唱 (※)

  • オフェルトリウム(奉献唱)

  • コンムーニオ(聖体拝領唱)

  • 通常文

  • キリエ(憐みの賛歌)

  • グローリア(栄光の賛歌)

  • クレド(信仰宣言)

  • サンクトゥス(感謝の賛歌)

ここで代わりにトラクトゥス(詠唱)やセクエンツィア(続唱)を歌うことも。

グレゴリオ聖歌

聖歌は各地で様々な言葉と歌唱法で歌われていましたが、9世紀頃にどの地域もローマ公認の聖歌を歌うように定められ、その頃からグレゴリオ聖歌の名で親しまれるようになりました。(ただし、ミラノだけは例外的に以前からのアンブロシウス聖歌が歌われていました。これは20世紀中頃まで続きます。)といっても、「グレゴリオ聖歌」はいわば俗称のようなもの。正式にはローマ聖歌といいます。「グレゴリオ」の名称は、ローマ法王グレゴリウス1世 (在位590~604)に由来しますが、実際にどこまでグレゴリオ1世が聖歌の編纂に関わったのか、疑問視されています。また、今日伝えられているグレゴリオ聖歌(=ローマ聖歌)は、9世紀頃から16世紀頃までの長い時間をかけて成立したものと考えられています。聖歌のテキストの多くはラテン語で、教会旋法による単旋律で書かれています。司祭など聖職者によって歌われますが、歌唱スタイルには、応答詩篇唱(独唱と斉唱の交代)と交互詩篇唱(斉唱と斉唱の交代)、直行唱(交代なし)があります。

教会旋法

グレゴリオ聖歌で用いられている音階は8種類あり、教会旋法と呼ばれています。 旋法には正格と変格があり、それぞれ終止音(曲の最後の音。以下の譜例では倍全音符で表示。)と支配音(現われる頻度の多い主要な音。時に長く保持される。譜例では全音符で表示。)を持ちます。正格と変格の終止音は同じですが、それぞれ固有の支配音を持ち、各旋法はドリア(第1旋法)から、ヒポミクソリディア(第8旋法)まで番号が付けられています。

▲ボタンをクリックすると、番号に応じた旋法が再生されます▲

ヒント:教会旋法は、現代のジャズやポップスの世界でも多く使われています。
詳しくは 《楽典WEB解説》 もしくは 《JAZZの音階》 まで。