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中世後期 Page.1

時代背景

フランコ式記譜法がさらに発展し、より細かな音価が記されるようになりました。この新しい記譜法はフィリップ・ド・ヴィトリの『アルス・ノヴァ(新しい技法)』(1320年頃)で紹介されました。
まず、音価の種類もロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィスに、ミニマとセミ・ミニマが加わり、より複雑なリズムが表記できるようになりました。さらに、一つの音価を3つの音符に分けていく3分割(完全分割)の他に、音価を2つに分ける2分割(不完全分割)を同じ楽曲で用いますが、その際分割の種類が変わったことが分かるようにその部分は赤い音符で示されます。新しい作曲技法も生れました。それが、「イソ(同じ)・リズム」、すなわち同じリズムを繰り返す技法です。リズム型のことをタレア、同一の旋律の型をコロルといいます。

■不完全分割について■
赤色で記述されたリガトゥーラが譜面上にある場合、そのリガトゥーラには
不完全分割が適用され、音価を3ではなく2で分割して歌われた。

マショ―

ギョーム・ド・マショー(1300年頃~1377年)は、フランスのアルス・ノーヴァの代表的な作曲家です。北フランスのランスに生まれ、聖職者になるように教育を受けました。20歳台初頭にボヘミアのヨハネス王の秘書を務めた後に、フランス王の宮廷につかえ、最後は故郷ランスの聖堂参事会員として余生を送りました。マショーはモテトやヴィルレ、ロンド、バラードなどの世俗曲やモテト、ミサ曲などを作曲しています。
音楽史上重要なのは、1340年にランスのノートルダム大聖堂のために作曲された《ノートルダムのミサ曲》(聖母のミサ曲)でしょう。ミサ典礼用テキストの5つの通常文(キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、イテ・ミサ・エスト)のすべてを多声に作曲した最初期の作品の一つなのです。楽曲は4つの声部を持ち、キリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ、イテ・ミサ・エストでイソ・リズムの技法が用いられています。

▼《ノートルダムのミサ》

▼《ノートルダムのミサ》キリエの譜面