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ルネサンス前期 Page.1

時代背景

アルス・ノーヴァの時代の14世紀には、ローマ教会の大分裂(1378年~1417年)やローマ教会とは違うキリスト教会の在り方を求めるイギリスのウィクリフやボヘミアのフスらによる運動によりローマ教会の権威が弱まり、後の宗教改革を予見させる出来事が起きました。それと並行するようにイタリアでは、古代ギリシャやローマの古典を研究する人文主義が流行し、ダンテやボッカチョ、ペトラルカらの文学者たちがラテン語ではない、それぞれの国の言葉で文学作品を生み出しました。この人文主義こそが、ルネサンス文化の最大の特徴なのです。こうした動きはまずイタリアのフィレンツェなどの都市国家に始まり、文学者や建築家や彫刻家らによって花開きます。アルス・ノーヴァの音楽家たちが、2分割に3分割に同等の価値を与えたのも、神学に縛られない新しい思潮の表われと言えるでしょう。ですが、音楽のルネサンスは、他の芸術分野よりも少し遅れて現れました。
その最初の舞台はフランドル地方のブルゴーニュ公国です。14世紀中頃から15世紀にかけて同公国は広大な領土を持ち、華やかな宮廷生活を繰り広げていました。とりわけフィリップ善良公の時代、公国の領土内では教会や宮廷の音楽、絵画などの芸術がかつてないほどの高い水準に達していました。ブルゴーニュ公国は1477年にフランス王に敗れ、事実上消滅してしまいますが、領土内の修道院における高度な音楽は伝統として残り、優れた音楽家たちを輩出し、彼らはその後数世紀にわたってイタリアやフランス、ドイツの宮廷や教会で活躍します。フランドル出身の音楽家はいわば優れた音楽家の代名詞のようなものでした。彼らをフランドル楽派、またはネーデルランド楽派と呼んでいます(ブルゴーニュ公国の時代の音楽家をブルゴーニュ楽派と言って区別することもあります)。

デュファイとバンショワ

デュファイ(1400年頃~1474年)は現在の北フランスのカンブレで生まれたと考えられ、同地の少年聖歌隊で音楽の修業をし、ローマの教皇庁の聖歌隊歌手やイタリア各地の宮廷など国際的に活躍し、モテトやミサ曲、シャンソンなど多様なジャンルに曲を残しました。一方、ジル・バンショワ(1400年頃~1460年)はほぼ生涯を通してブルゴーニュ公国の宮廷で音楽家、司祭として活動しました。教会音楽よりも世俗音楽に優れ、宮廷風の優雅でメランコリーの魅力に溢れたシャンソンを書いています。デュファイもバンショワもダンスタブルの明るいハーモニーに大きな影響を受けました。また、ともにブルゴーニュ公国の最盛期に生まれたことからブルゴーニュ楽派と呼ばれますが、近年では公国の宮廷に留まったバンショワのみを指すことが多いようです。