音楽史トライアル(近代)

ラフマニノフ その2

1873年にロシアの裕福な一族に生まれたセルゲイ・ラフマニノフは、家が破産したあと、9歳のときからペテルブルク音楽院に学ぶが、3年後モスクワ音楽院に転院した。その卒業制作として1892年に作曲したオペラは、最優秀の成績をおさめた。

1897年の《交響曲第1番》の初演が失敗に終わったあと、しばらく指揮活動に専念していたが、1901年10月に全曲初演された《ピアノ協奏曲が大成功をおさめ、作曲活動に邁進していくことになる。

1917年に勃発したロシア革命を受けて、ラフマニノフはアメリカに亡命した。ピアニストとしても大活躍したが、1934年には《の主題による狂詩曲》を完成させている。